「キリスト教概論」クラスアンケート 2021 Spring
1 あなたは自分の信ずる宗教がありますか。それは何ですか。
- ジャンボカワウソ:キリスト教福音派。
- Mary:キリスト教(プロテスタント)の福音派。私にとってキリスト教信仰とは、この世を生きる道筋だと考えています。キリスト教に無関心or反抗的な考えを持つ人との共存する心構えを身につけたいです。
- ルー:洗礼は受けていないし、自分自身の行動で教えを守れているわけではないのですが、キリスト教を信じています。神さまがいつも見守っていて下さると思えることは、私にとって、心のよりどころになるものだし、キリスト教に12年触れてきたということは私の今までの人生にとって重要なことだと思います。コロナの影響で教会にもこの1年全く行っていないので、なるべく聖書の言葉に触れつつ、自分が今まで当たり前だと思って考えようとしなかったことを考え直していきたいです。
- Bamboo:キリスト教。病み期があってキリスト教に救われた気がしたから。賛美歌素敵。救ってもらったと思える心のよりどころ。でも自分はクリスチャンですって言うと???って反応をされる。確かに日本にいれば少数派。
- ライオン:キリスト教。私は、幼少期母が方角をやっていて、住む場所や学校や旅行などは全て方角に基づくものだったので、キリスト教とは縁のない生活を送っていました。それから、8年前ほどに私がミッションスクールの中学に進学したのを契機に母がクリスチャンになりました。それからは、私も日曜教会に行ったり、学校でも賛美歌や聖書の時間があったので思春期の時期はキリスト教に深く関わっていました。
- エリカ:キリスト教。自分の罪は多すぎて、重すぎて、イエス・キリストが私の代わりに罪を負わなければ人生に耐えることができません。(普通の人間だけど)家族はキリスト教で、毎日祈ったり、聖書読んだり、日曜日に必ず教会に行ったりしていましたが、高校の時にキリスト教は嫌いでした。だが、今はキリスト教徒で、祈ったり、聖書読んだり、教会に行ったりしています。
- オレオ:幼いころに私の意志とは関係なくキリスト教の洗礼を受けたが、最近はほとんどミサに行ってないので、正直自分が信じているのかがわからない。
- はりねずみ:信じている宗教はないけれど、初詣に行ったりクリスマスイブに教会に行ったこともあり、完全に無信仰とは言えない気がする。母親もミッションスクール出身のため、信者ではない割にはキリスト教は身近だったと言えるかもしれない。
- 背負い投げ:信者ではありませんが、父がカトリックの信者で私自身も幼稚園からカトリック系の学校に通っているため、キリスト教に対する親近感のようなものを感じています。(気付いたら大学もキリスト教系に入っていました、、)ミサに出ると心が落ち着いたり安心感を感じたりするので、ある程度の信仰心に近いものは自分の中にあると思いますが、洗礼を受けたいかと聞かれるとまだわかりません。信仰を持つことの意義はとても大きいと考えているので、日本人に多い「宗教嫌い」的な考え方には否定的です。
- ナポリタン:わからない。キリスト教の思想の影響は、少なからず受けている。祖母と母親がクリスチャン(カトリック)。友達が亡くなったときに、何もする気になれなかったため、教会へ足を運んで牧師さんの話を聞いた。知りたいこと=ニーチェとキリスト教の関係。クリスチャンはニーチェをどう思っているのか。
- ボールペン:いずれはキリスト教徒になる予感がしていますが、まだ洗礼は受けていません。
- 該当なし:特に信仰してる神様/宗教はないんですが、一番近いとしたらキリスト教(プロテスタント)でしょうか。
- NikiNiki:教会に一時期通っていましたが、信じていたとは思いません。中学高校でキリスト教概論の授業を受けたことがあります。母親や祖母は、教会に通っていたことがあったりしますが、将来のお墓は仏教のいづれかになると思います。
- ねこ:信じている宗教はありません。でも、クリスチャンホームで育って、中高もミッション系に行ったので、キリスト教には結構親近感的なものを感じます。親戚にクリスチャンがうじゃうじゃいます。
- ぴ:キリスト者になりたいけれども、聖書に関して、信仰に関してたくさんの疑問がまだ十分に考えられていないので迷っているという、距離をとった見方をしています。キリストに倣うということは、自己実現によって幸福を得るという俗世の考え方ではなく、世界に存在する恩寵を感じることで幸福を感じるという考え方をするのかなと思っています。このクラスを通じてどのようにこの考えが変わるかを学んでいきたいです。
- カピバラ:何を信じればいいのかを探している最中です。
- 文鳥:高校生時学校に行けず実存的にいろいろと悩んでいた時期にキリスト者になろうかと検討したことがあり、聖書や関連する本を真面目に読んでいたこともあったが、その後楽になってやめた。
- きなこ:特にないです。中学に合格した時に、校長先生から「あなたたちは神様に選ばれて入学したのです」と言われ違和感を覚えていました。ですがICUに入学して同じことを言われた時はすごくしっくりきていたので、年月をかけてなんとなくキリスト教に心と体が順応しているような気がします笑
- とにー:特定の宗教の信仰者ではありませんが神様や死後の世界は信じています。
- ニイザ:人間社会における人権を信じています。
- ニート:酒。――きっぱり。
- クリュティエ:信じている宗教は特にありませんが、本当に困ったときに神頼みをすることがあります。印象=宗教は人の弱みに付け込むというイメージ。
- ホイコーロー:特にないのですが、八百万の神々は信じています。
- わっふるわふこ:特に今の所はないです。でも八百万の神様とかはいいなとは思います。
- 木綿:特定の宗教は信仰していませんが、自分のお葬式は神道式でやってほしいなとぼんやり思っています。
- ネロ:神道。
- ニックネーム:神道。印象=白人中心の宗教。知りたいこと=リベラルとキリスト教は本当に両立するのか。
- ステイゴールド:特にこれ!と決めた宗教があるわけではないですが、何となくベースを神道とした感じの概念は持っています。すごくぐちゃぐちゃです。
- たた:すごく信じているわけではありませんが幼少期から神道に親しんでいます。ガールスカウトで神社内で活動をしていました。禊を受けたり、伊勢の勉強会に参加したことがあります。――たたさん、ボーイスカウトもガールスカウトも、もともと宗教活動だって知ってた?だから団を設立するにはお寺や教会や神社がベースになるのです。
- ちゃんまるくん:属している宗教はないが、毎日家の下の神社にお参りにいっている。そのため、信仰している特定の神はいなくとも「神様」という存在は心のどこかで信じているのだと思う。
- 山椒魚:信じているとまでは言えないが、臨済宗円覚寺派円覚寺の檀家です。祖父母が信心深いうえに成金だったので、大量の喜捨を行っていた。
- たた:正直、なぜいまだに宗教が残っていて、お布施や寄付をする人がいるのか理解ができません。神聖なような、詐欺集団のような、よくわからないものという印象があります。
- じぇじぇじぇのおじさん:特定の宗教に対する信仰はありません。ただ、ピンチのときには神さまや仏さまが助けてくれることを信じるときがあります。印象=信仰を貫く人は徹底して貫き通すイメージ。近親者の葬儀であっても仏教式の葬式には参列しないという知り合いのクリスチャンがいて驚いた。
- れたす:無いです。保育園はお寺で仏教でしたが私は今までずっと無宗教です。ひな祭りとかお釈迦様のお話の劇とかやりました。
- 難しいメイヤス―:無宗教のつもりでしたが最近キリスト教信者になることに興味をもっています。キリスト教との接触はICUに入学したことが最初の接触です。それ以降は藤沼先生の木曜日のBible Discussionに参加しました。尊敬する人物がクリスチャンであることや、キリスト教が社会に密接に組み込まれていることを知ってからは好意的な印象を抱いています。――藤沼先生はあなたをカンタンにしてくれるでしょう。わたしも大好きな先生です。
- あいりす:今は祖父母の眠るお墓の関係から浄土真宗ベースだと思ってます。
- Butabanana:自分は様々なバイアスから自由でありたいと強く思っていますが、これまでの人生において自分の価値判断に倫理的なバイアスがかかっていることに気づかさせられることも多く、信ずる倫理がないとは言えなくなっています。例えば、自分が「勤勉であれ」という倫理に脅迫されて生きていることは間違いないと思います。
- MOMO:特定の宗教を信じているわけではありません。しかし、様々な宗教の考え方や教えからいいな、しっくりくるなと思ったことを信じることにしています。例えば、キリスト教のコリントの信徒への手紙1にある愛についての考え方だったり、”蟲師”というアニメ作品に表れる古代中国の思想だったりします。
- ハルウララ:自分は無宗教であると考えます。
- アリア:ないです。自分は無神論者かもしれないと思っています。
- まさ:無宗教。無神論者ではないと思います。
- 井の庄:特になし。
- ける:なし。
- kohaku:ありません。
- ゆーみん:特にないと思います。
- ムシル:明確に信じている宗教は、今のところ、私にはない。しかし、無神論者であるかと云うと、私の立場は、「神がいないと信じている」というものでもない。例えば、Xという宗教の中には、日常、非日常を問わず、私を支えてくれそうな教理がある一方で、良くも悪くも、私の従来の世界観を壊してしまうであろう考えもある。Xには、キリスト教、イスラーム、仏教、神道など、様々な宗教が代入され得る。私は、無宗教的であるかも知れない。しかし、私は、様々な宗教の教えから、様々な示唆や影響を受けていることを認識している。
- おにぎり:自分の感性には、神道が合っていると感じている。しかし、高校時代にキリスト教系の高校に通っていて、朝晩の礼拝に出席する生活を送っていたこともあり、自分の現在の価値観にはキリスト教も大きく影響している。私は、宗教を一つにしぼったり、〇〇教だから信じる、というふうにするではなく、宗教・宗派に囚われずに学んで、自分で考えた上で信じるものを決めていきたい。例えば、神道のこの部分と、キリスト教のこの部分を信じています、というふうな信仰の形があっても良いと思う。
- 休日出勤:ありません。ですが、それはたまたま育った環境に宗教を信仰する人があまりいなかったからかもしれません。
- 哀愁:無宗教。クリスマス程度。我が家は無神教。学校は公立校のみ。
- ほうじ茶:特にこれだ!というのはないと思います。親族の葬儀などは真言宗のやり方で行われるし、初詣にも行くし、クリスマスも楽しみます。お腹が痛くなれば神に祈りますが別に仏でも良いと思います。
- ごま:ないと思っている。実際は宗教について何も知らないし、知識がないから信じる段階にも到達していない。
- 塩:現在、自分の信ずる宗教はありませんが、知らない間に「神様お願い、、、」と祈っていることはあります。
- ちょんまげ:特にありませんが、言霊は結構信じています。編入生で、同志社大学から来たので以前もキリスト教の授業を取っていました。同志社ではキリスト教の他に、仏教や神道の勉強もしていました。――おお、よく来たね!同志社の先生方、わたしの知り合いが多いので、大歓迎。この授業でも仏教や神道やイスラームに触れます。
- ステイゴールド:去年の秋冬に、あんり先生の宗教学概論と植木先生のキリスト教概論を受講していた。印象=人々が抱えるには重すぎるなにかを軽くしてくれる、力の逃げ場。特にキリスト教は、罪人に対しての赦しの宗教なのかな?と思っています。
- ハート・スミコ:信ずる宗教は特にありません。法事は真言宗のスタイルで行っていますが、信仰があるわけではなく「そういうもの」と思っていました。それは何でですか?という問いに対して、日常の生活において宗教と触れる経験がないからとなんとなく思っていたので、授業内での無自覚の無宗教・無信仰は問い直すべきであるという発言がとても印象的でした。
2 あなたはこれまで家庭や学校で宗教教育を受けたことがありますか。あなたのキリスト教との接触はどのようなものですか。
- ブロッコリー:祖父、祖母、伯父はプロテスタント。幼い頃から教会に連れて行ってもらった。先祖はカトリックの高山右近。どの代から、カトリックからプロテスタントに替わったのか祖父に聞いてみたが、よく分からないと言われてしまった。今度自分で調べてみようと思う。
- ニート:幼稚園から高校までカトリック系。なかなか眠かった授業の一つ。
- カレーのルー:高校がバハイ教を信仰している学校でした。
- ける:ICU高校の授業(キリスト教概論)
- ホイコーロー:イギリスの時に通っていた学校はイスラム教徒が多かった(ラマダンのお祭りのときはお休みの人が多かった)
- りさこ:インドネシアに住んでいた頃はイスラム教の文化の下で生活していました。ラマダンとか犠牲祭とか様々な行事があって面白い宗教だと思いました。
- ヤング:昔ブリュッセルに住んでいてキリスト教が身近にありました。今でもICUの教会の鐘の音を聞くととても懐かしく感じます。加えて、私の住んでいた場所の近くには「テロリストの巣窟」とも言われたイスラム教の地区があり、そういう意味ではイスラム教とも接触があります。テロリズムというのはそういう意味で、宗教を考える際の私にとっての重要テーマの一つです。
- りんご:タイに住んでいた時に、仏教の文化で暮らしていた。「宗教」と言うか信じると言うことは少し怖い印象がある。
- みっちゃん:高校でイギリス留学したときの受入校がCatholic comprehensive schoolだったので、毎週水曜日に礼拝があったり、Religionの授業が必修でした。
- 連合:アメリカに住んでいた頃にサマーキャンプなどで教会のお世話になったことがあるくらいです。
- ぴ:アメリカに住んでいた時にアジア系移民の集い場所が教会だったことを覚えています。0-5才の時でしたのであまり記憶にはありませんが、教会員が開いてくれた英語教室や料理教室に親が通っていました。
- DB:アメリカに在住していた時には周囲の人々の生活の一部になっている要素だと感じた。
- ねこ:宗教を信じることはある集団と価値観を共有することだと聞いたことがあります。神がどんなに絶対でも宗教自体は人間が作ったものだから、特定の宗教を全面肯定する必要はないと思います。正直キリスト教はそんなに好きじゃないです。神を信じるのがキリスト教徒だと私は思っていますが(自分はクリスチャンじゃないけど)、教会やミッションスクールにいると、「キリスト教」という集団に属して、そのやり方に合わせることを強要される気がして…
- あか:ラオスでシャーマンの方にお話を伺ったことがあります。
- アオ:ミッション系の学校に通っていました。
- たべっこどうぶつ屋さん:秋学期、森本先生の宗教学概論をとりました。そこで初めて本格的?にキリスト教や、宗教についての考えかたを学びました。この授業をきっかけに普段読もうと思わない聖書を読んでみたい。また、キリスト教というよりもなぜ自分が無宗教なのかということについて知りたい。
- たいき:去年の秋に先生の授業で触れた程度です。
- あさはなだ:昨年度に森本先生の宗教学概論や魯先生の旧約聖書学概論を履修してキリスト教に触れていたので、そこに新たな視座を得られればと思います。
- 頑張ろうと思います:友人に神父の息子がおり、その彼と関わりながらキリスト教について感覚的に知った。(日曜日に部活に来ない理由など)――うーん、神父に息子がいるのはちょっとマズイかと。たぶん牧師でしょう。
- ネロ:人間の考え方を制限する鋳型の様なもの。その中でもキリスト教は特に厳格に行動や考え方を制限しているという印象。
- 真面目系クズ:小学校の頃に近所の公園で、派は分かりませんがキリスト教徒の方が夕方ごろ、子供たちに飴を配る代わりに聖書の一節を紙芝居にして読み聞かせていたところに何回か混ざったことがあります。ポイントを押さえたカードのようなものも一緒に配られて、小学生なりに参考になった思い出があります。――たしかにマジメ系だね。
- kiki:高校で初めてキリスト教と出会いました。聖書を読んで単純に素晴らしいと思う箇所がたくさんありました。それは本当に人間がモラルをもって生きていくために、また人生を本当の意味で全うするために必要不可欠なことのように思えました。それで信仰しようと決断した時期もありましが、一方で同じ聖書の中にいくつもの矛盾を見つけました。その矛盾に対して周りの友達は口を揃えて神の計画だからと答えます。私は真実はそんなにも簡単に探し当てることのできるものなのかと強く疑問にもち今に至ります。。
- おにぎり:高校時代に受けたキリスト教教育には、少し偏りがあると私は感じていた。信じている結果、疑いの目を持たなかったり、排他的になってしまったりする側面があるのではないかと当時は考えていた。だからこそ、批判的にキリスト教と向き合う、という授業内容を非常に楽しみにしている。
- フロロ:ディズニー映画や音楽には、キリスト教の文化や歴史を引用している者がたくさんあり、「キリスト教だから」というわけではありませんが、非常に好きです。クリスマスやイースター、ハロウィンなどの行事も、ディズニーランドに行ってなければ興味がなかったかもしれません。ディズニー作品を根から理解しようとすると、キリスト教の理解も必要になると感じており、今回の授業をきっかけに学びたいと思っております。――ディズニーはこのクラスでは扱わないけど、現地視察には行ってみたい・・・
3 「宗教」特に「キリスト教」についての現在のあなたの印象はどのようなものですか。
- とにー:厳格で徹底的に洗練されたイメージ。
- ホイコーロー:日本で聞くとどうしてもネガティブなイメージ。
- あいはる:世界三大宗教の一つで、その中にも宗派があって、過去にはそれを基ととした戦争もあった、というような印象。
- もも:キリスト教を信じている人はみんな信仰深いイメージがあります。自分の周りで起こっていることはすべて神様によって導かれたものであるという感じがします。
- パイン:キリスト教は食事や生活に縛られることはないので、他宗教と比べて比較的信仰しやすいものだととらえています。キリスト教を批判的に捉えたことがなかったので、問いを持ちながら改めてキリスト教について学んでいきたいです。
- しめ鯖:よく家に宗教勧誘のおばさま(多分キリスト教ではない)が冊子を配りに来ていて、その影響で宗教に対してはなんとなく怪しいイメージを持っていました。でも大学で出会った友達にキリスト教徒の人も結構いて、今までの友人と変わらず良い人達ばかりなので、宗教に対する怪しいというイメージは今はあまりないです。
- しめさば:信仰というものが心のよりどころになって良いのではないか、と思ったり、信仰によって思考が偏って差別につながるような場合もあるのでは、とネガティブなイメージも少しあったりしますが、自分とは関係ないと思ってあまり意識したことはないです。
- えりんぎ:ヨーロッパ(特にスペイン)に行った時、ド派手できらびやかな教会に圧倒されました。圧倒的財力と権力を感じました。私もスペインに住んでいたら長いものに巻かれる形でクリスチャンになっていたと思います。――わたしは正反対。キリスト教がマジョリティの国に生まれたら、ならなかったと思います。
- くま:キリスト教についてカトリックとプロテスタントの違いやよく聞くイエス様について知りたいです。
- こぐま:キリスト教は他の宗教よりも生き返ったり、海で海水が引けたりなど、超人が多い。
- ヤング:日本では特定の宗教を堂々と信仰する事は例え古い宗教であれ新興宗教のような胡散臭いイメージがあるので、ICUの知名度の低い私の地元では大学を「ICU」と言われたら医者になるかと思われるし「国際基督教大学」というと何か洗脳されていると思われるので困ります。――昔から言われていたけど、そんな地方から来てくれて嬉しい。その人びとにとっては、やがてあなたがICUの代名詞になるのです。
- わっふるわふこ:正直、宗教はとても不思議なもののように感じます。科学的根拠がないものも多く、言ってみれば宇宙人信じてるみたいなことかなって感じることもあります。(科学が全部正しくて何もかも説明できるわけじゃないとも思います)。特にアメリカの田舎に住んでいたので、信仰が強い人も多く、その強い信仰がどこからきているか疑問に思ったこともあります。キリスト教に関していえば、大きな宗教なので一言で「キリスト教徒」とくくることが出来ないことが印象深かったです。
4 あなたはこのクラスでどのようなことを学びたいと思いますか。キリスト教についてあなたが知りたいと思うことは何ですか(シラバス参照)。
- おにぎり:なぜ日本人は無宗教なのか、宗教に対しての偏見(洗脳されてる?!)
- NikiNiki:キリスト教に触れて、信者になる人とそうでない人は何が違うのか、また何が同じなのかについて気になります。
- 山椒魚:『反知性主義』を面白く読んだので、楽しみです。ニーチェのいう超人をまだ理解できていないので少し学びたい。――おお、読書家だね。最近著は『不寛容論』なのでぜひご一読を。
- もこ:カトリックの教えしか知らないので、違ったキリスト教観に触れてみたいです。また、沈黙で内省することは度々習ってきましたが、それとは違う、この授業でのクリティカルシンキンングはどういったものなのか興味があります。山口周さんとの対談記事を拝見しました。不条理(特にコロナ禍で)をどう乗り越えるのかという話が面白かったです。キリスト教は比較的慣れ親しんだ宗教なので、実生活・アカデミアと宗教がどのように関わりあっているのかという事を学びたいです。『反知性主義』は買ってまだ読めてないので、これから読みたいと思います。――もこさん、対談記事を読んでくれてありがとう。このクラスの内容とも重なります。
- たた:教授が仰っていたように、聖書の内容や知識だけでなく、今の考え方や世界観を見直すためのきっかけをつかみたいと思っています。
- あれい:キリスト教的価値観がどれくらい現在の世界に影響しているかどうか。具体的な数字やデータで言えることではないけれど、この授業に参加している生徒や先生の意見を聞きつつ、自分に繁栄していたらいいなと思っています。
- きなこ:授業でおっしゃっていましたが、なぜ科学がこんなにも進歩した現在でも宗教を信じている人が絶えないのか、疑問です。でも、絶対的に信頼できる何かを持っていることは羨ましい。
- フロロ:宗教は、現代科学を正当とする場合、論理性のない内容がほとんどを占めていると考えております。現代の人間が、科学の知識をある程度有しながらも、宗教を信じている場合、言葉は悪いですがばかばかしいと感じます。しかし、科学の概念が出てきたのは最近ですし、現代ですら一体どのくらいを解明できているのか、決して過信してはいけないと思います。長いホモサピエンスの歩みの中で、説明のつかない事象や己の感情を納得したかったのでしょう、宗教や神話はそれを助けてきた、重要な存在だったと考えています。
- Jeffrey:現代の信徒が神と科学との間にどのような折り合いをつけているのかを知りたい。
- えりんぎ:科学が発展した現代において、キリスト教にはどのような意義があるのか。ICUで出会った友人が、4年目にして「猿が人間になったとは思っていない」と打ち明けてくれました。また、私にもそうしたキリスト教の教えを信じて欲しいと言いました。非常に論理的で優秀な彼女の発言に驚き、逆に原理主義(?)ではないクリスチャンはどんな意義を見出してキリスト教を信仰しているのか?と疑問が生じました。――科学や進化論の話は、第2章で必ずやりますので待っていてね。
- ムシル:主に2つある。 @以前、カール・バルトの『ロマ書』を読もうとして挫折しているため、本講義を通し、『ロマ書』を理解するための<態度>を身に着けたい、と目論んでいる。 A日本の宗教について勉強したい。無宗教的であると云われることが多い日本であるが、一方で、この国では、全体主義がかつて蔓延り、オウム真理教のようなカルトが発生することもあった。カルト的なものが本気で僕にコミットして来たら、僕はカルトに屈してしまうのではないかと感じる。それは嫌なので、カルト的なものに対抗する免疫を、本講義を通して学びたいと思う。――ムシルさん、そこまで専門的なことはこのクラスではできないので、わたしの秋学期の「神学」のクラスをとってください。まさにその本がテキストの一部です。カルトについては扱う予定です。
- りさこ:カルトとかについて学びたいです。オウム真理教とか、人々はなぜそういう新興宗教にのめり込むのか。占い出会ってもそもそも人はなぜ何かを信じたいと思うのか。
- はりねずみ:周囲のクリスチャンなどを見て、温和で優しいイメージがあったが、同時に信仰が政治的な対立を生んでいる状況もあり、自分の中で一貫したイメージを持てていない。聖書は文字通り読むと非科学的なものも多いが、それでもなぜ世界中の多くの人々がキリスト教を信仰しているのかがずっと気になっている。
- みっちゃん:正直色々な流派がありすぎて結局どのような宗教なのか謎に思います。聖書の解釈が違うことは人間の感覚に依存するので納得できますが、祈り方やイコンの意義まで違ってくるとそれって同一宗教なの?と思う瞬間もあります。
- ありあ:何かを学びたい、知りたいというより、宗教や信仰についての刺激を受けたいです。この授業を履修することにより自分も何かを信じることができるかどうかという期待があります。
- ヤング:個人的には第四章の「生の自己決定権」に興味があります。なぜなら、現代において世界で重要視されている概念(例えば自由や権利など)は時としてキリスト教の教義に反するのではないかとしばしば思ったからです。人工妊娠中絶などもそうだと思います。現代的な価値観とキリスト教がどう折り合いをつけていくか。これは世界規模な様々な問題を解決する際に直面せざるおえない問いだと思います。
- あいりす: 労働する人間(就活やだーーーー!!!)・ 出合いの真理・ 私の宗教と公の倫理(陰謀論が横行する世の中でどう生きたらいいのか)――リアルな叫びだね。聴講の人は、課題やテストはスキップしていいが、発言は大歓迎です。上級生のオトナ発言を期待してるよ。
- エビフライ:クリスチャンの方からよく「神が明日を導いてくれる」といった言葉を聞きます。見えない未来を不安に思っても、神がいるから大丈夫。と思えることが、たまに羨ましくなります。私には神という絶対的な存在が概念として大きすぎて、神というもの自体が不明確な存在に思え、その不明確な存在が明日を導いてくれる、と言われてもあまり不安が解消されません。なぜ私はこんなに信じることができないのか、何度か考えたがはっきりとした答えは見つかりません。この授業を通して、自分の無信仰について考えたいです。
- ちゃんまるくん:発展途上国など独自の宗教を信仰している地域は、キリスト教信仰国からの植民地支配を受けていた歴史も多く在り、キリスト教=西洋的価値観の押し付けが現代の発展途上国が直面している問題なのかと思う。無宗教であることをもう一度見つめ直してみるという観点が興味深い。この授業を通して宗教を信じるとはなんなのか宗教と私たちの考え方の関係性を学んで自分のこりかたまっているであろう偏見がほぐせたら嬉しい。
- あか:自分の無宗教、無信仰を問い直したいです。このクラスを通して、今まで無意識に持っていた常識や偏見を破壊するような気付きに出会えることを楽しみにしています。
- 404:理屈ではわからないが人間を魅了するもの。キリスト教や他の宗教において信者の気持ちを知りたい・わかりたい、と思ったことは何度もあるが過去には一度もできなかった。どのように信者に思いを馳せればよいかがわからない。宗教を感覚的に身近に感じたい。信仰者の気持ちをわかりたい。――このニックネーム、いいね。あなたの気持ちがよく表現できています。
- かまいたち:己自身の失敗や後悔、といったものとどう向き合うのか、それに対するキリスト教の捉え方を特に知りたいです。(自分自身、失敗?というか間違ったことをしたときはそれを引きずることが多く、未来に繋げるための対処ができていないと感じるので)
- ニンゲン:神様はいますか。神様とはなんですか。
5 その他、授業について具体的な希望があれば書いて下さい。
- ムシル:先生は、「ICU生は、ディスカッションが好きな子が多い」と考えていらっしゃるようですね。ICU生の大半がディスカッションを好むというのは、認めざるを得ないと、僕も思います。が、しかし、僕は、ディスカッションが大の苦手の少数派に属する学生であると自負しています。従って、ディスカッションの中で、僕が非常に見苦しいところをお見せすることになるかも知れませんが、僕は精一杯頑張りますので、どうか、先生には、温かい目で見守って頂きたいです。――わたしもその気持ちには共感できます。大事なのは、話すことじゃなくて考えることです。みんなでわいわい話すのも楽しいが、問いを受け止めてじい〜〜っと考える時間をもっている学生がいるのは、わたしにはとても嬉しいことです。この話は、今週の授業のテーマでもあります。
- カピバラ:恥ずかしいですから、授業中に指名されたくないですが。。
- 十六茶:ただビデオを見ているだけでは退屈してしまうので、できれば他の生徒さんとも対話できるようにしていただきたいです。
- Bamboo:自分の経験とかを踏まえながらいろんな人の宗教についての考え方を共有したい。
- かまいたち:先生の大学時代の洗礼を受けるまでの経緯など、先生のバックグラウンドとお考えをたくさんお聞きしてみたいです。それと色々な生徒の意見もたくさん聞いてみたいです。
- 哀愁:森本教授は大学時代にキリスト教に入信されたのですか?――はい、2年生のクリスマスにICU教会で洗礼を受けました。同窓会のインタビューでその話をしたので、読んでみてください。
- えりんぎ:就活中で、本日も既に遅刻のため出席記録を提出できなかったのですがなんとか最後まで頑張りたいです。よろしくお願いします。
- あさはなだ:お手柔らかにおねがいしたいところですが、価値観についてがっつり議論するのも楽しそうなので楽しみ(?)にしています。
- みっちゃん:初めて自分自身を見つめ直すような内容の授業を受けるので、何だかワクワクしています。自分の価値観をバットで粉々にするためにも、是非たくさん先生やクラスのみんなと対話してみたいです。
- 文鳥:授業の本題とは直接には関係しないのでたいへん恐縮ですが、学生を呼ぶ際に「くん」「さん」分けするのはやめた方がよいと思います。まず第一に、この呼び方は性別二元論(この世界には女と男としかいないという考え方)を前提としており、性別の多様性を反映していません。ICUのFaculty Orientationのページ「多様性とインクルージョンに対応した教育」においても、「さん」「くん」分けは「名前や外見を元に学生のジェンダーを判断してしまうので、多様性にセンシティブな授業運営として適切とは言え」ないとあり。――文鳥さん、その通りですね。これからは「さん」で統一しようと思います。
- もこ:森本先生のアンケートへの返答が個人的にかなりツボだったので、今後も面白いレスポンスを見聞きできたら嬉しいです。高校生のとき、夏のオープンキャンパスで森本先生とお話しようみたいなイベントに参加した時に、「ここに来ているということで、みんな合格です、おめでとう」と言われたのを覚えていて、先生の予言通り無事ICU生になれてよかったです。
- ニイザ:とっても楽しみです!よろしくお願いします。(小学生のころ友達に連れられておそらくカトリックの教会でピアノを弾いたりしたことがあります。子供たちが聖ヨハネ?や天使などの劇をしていて、「本気か?」と思った覚えがあります。)
- たいき:先生は今学期キャンパスにいらっしゃいますか。――基本的にあまり行く必要がなさそうだが、対面でお話したいなら時間を作るよ。
- きなこ:対面で参加しているような気持ちで受けられたらと思います??皆と議論する機会もあれば嬉しいです。同じ授業を受けているのも何かの縁、ということでクラスメートとのつながりも大切にしたいです♪
- キャラメルアーモンド:とても興味を持っています。世界で一番売れている本は聖書。これほど多くの人の生や死の価値観に影響を与えるものが一体、どのようなものなのか。私はそれを深く学ぶことで、どのように変わることができるのか、という事にとてもワクワクしています。キリスト教の教えを通して、ICUが提示する生き方について学びたいです。また、高校とは少し違う、直接私に語り掛けてくる答えが出ない問を体験したいです。キリスト教については、現代にキリスト教を学ぶ理由について特に知りたいです。なにか希望がある、というよりただただ講義を楽しみにしています!
- kiki:生きてきた人生も価値観も違う仲間と本当に大切なものは何なのか語り合いたい。先生もおっしゃたように今日の社会で本当にキリスト教の信仰を持つことはできるのか知りたい。またその場合どんな手段を持ち合わせていくべきなのかを考えいきたい。
- おにぎり:第一回目の授業で、「信じないと疑えない」という先生の言葉にハッとさせられた。宗教に限らず、身近な人との関係などでも、信じることと疑うことを同時にする、というのは私には難しく感じられるからだ。信じること自体が困難を伴うこともあるし、疑いを持った場合、自分が相手のことをほんとうに信じられているのか、自信がなくなってしまう。だから、「信じないと疑えない」という言葉は私にとって新しい考え方だった。もう少しこの言葉を掘り下げて、解釈を聞きたいなあと思っています。よろしくお願いします。――おにぎりさん、それが今週のテーマです。さて、それは誰の言葉でしょう?
- ハート・スミコ:今まで受けたオンライン授業のなかで、1番教室での体験に近いように感じました。よろしくお願いします!!――わたしもそういう授業にしたいと思っているので、どうぞご協力ください。
- フロロ:オンラインですが、初回から森本先生の授業の進行に乗っていったら対面と変わらない楽しさを求められそうで、ワクワクしています。