HRe251J キリスト教倫理II

Winter 2006, H-309, TuF*5, Instructor: A. Morimoto

THEME

「原理主義との対話」――宗教と寛容をめぐる実像と虚像を問い直す

OBJECTIVE

 誰しも、異なる思想や宗教や価値観をもつ人との対話は大切だと思うであろう。だが多くの場合、われわれが対話する相手は、対話のためのもっとも基本的な共通項をもった人々である。つまり、対話のできる共通基盤をもった相手との話し合いである。その外には、われわれがとても理解できそうにない不可解な人々、とても共存できそうにない不寛容な人々がいる。しかし、そういう人々こそ、われわれが対話すべき相手ではないか。では、それはどのようにすれば可能か。

 人間とその社会は、それぞれ独自である。すべての人間がお互いに尊敬し尊重し愛し合うなどという状態は、幼稚園の先生が教える「よい子の倫理」じゃあるまいし、終末以前のこの世界にはあり得ない。だが少なくとも、戦争やテロといった流血の対決に至らずに、共通の論理の承認のもとに平和裡に共存することは可能であろう。

 今年11月18日の朝日新聞には、欧州で移民排斥が進んでいる、という報道があった。そのこと自体は何ら珍しくもないが、問題はその理由である。ノルウェー右翼政党の女性党首は、「ノルウェーは開放的で、自由、寛容、男女平等の社会だ。だからこそ価値観がまったく違う移民を受け入れられない」と語っている。つまり、寛容を維持するためにこそ、不寛容でなければならない、というのである。デンマークのある同性愛女性は、「個人の自由を踏みにじる考えに我慢できない。同性愛や表現の自由を認めない人々との対話は不可能だ」として、移民を排斥する右翼国民党の議員となった。今日のリベラリズムが直面するこれらの「ねじれ」現象を、われわれはどのように理解したらよいのか。

 授業は、二段構成である。はじめに、「原理主義」と呼ばれるものについて、その実像と虚像とを理解し直す。次いで、現代リベラリズムのもっとも重要な担い手ロールズが最晩年に論じた「公共的理性」の是非をめぐって、彼の言う「現実主義的ユートピア」の可能性を探る。

SCHEDULE

12/8 授業の概要説明・文献紹介
12/12
12/15
「キリスト教の原理主義」
(燭火礼拝のため、4:00 まで)
12/19
12/22
「イスラム教の原理主義」
「ユダヤ教の原理主義」
1/9
1/12
ロールズの基本構想
「リベラルな民衆」(第1部)
1/16
1/19
「リベラルでない民衆」(第2部)
(センター入試準備)
1/23
1/26
「正義の戦争」(第3部前半)
「重荷に苦しむ社会」(第3部後半)
1/30
2/2
結論(第4部)
(ICC講演・堀江有里)
2/6
2/9
「公共的理性」
(入試)
2/13
2/16
ディスカッション「対話の可能性は」
ゲスト講演:小原克博先生「日本人と原理主義」
2/20 総括

REFERENCE

2冊の新刊本をテキストにします。三省堂に注文しておきました。
その他に、以下の書物への言及があります。特に最初の一冊は重要。

REQUIREMENTS

1. RESPONSE PAPER

授業参加を促すため、毎週 Response Paper を書いてもらいます。受講生全員のメーリングリストを作りました。アドレスは***です。授業終了後、指定日時までに、1,000字程度のコメントを提出すること。わたしの質問に対する答えや、自分の質問を書いてもらいます。自動振り分けを使いますので、メールの「件名」(Subject) に<***>と入れてください。添付文書ではなく、メール本文に<テキスト>形式で直接書き、最後に自分の名前を入れること。受け取ったものは、そのまま印刷してクラス全員に配ります。印刷に回すため、提出時間に遅れないように。

2. PRESENTATION

グループごとに分かれてテーマを研究し、発題をしてもらいます。

3. TERM PAPER

講義や討論を踏まえて、問題の設定と自己の論旨を明確にした期末レポートを書くこと。詳細は授業内でお知らせします。長さはA4用紙10枚以内。

GRADES

成績の配点は、グループ発題が3割、Response Paper などによる授業への貢献度が3割、それに期末レポートが4割です。前回類似のテーマでこのクラスを出したのは 2004 年冬学期でしたが、その時のグレードは、A=2人、B=8人、C=5人、D=2人、E=1人で、計17人、GPA=2.50 でした。

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